塾はどこにいけば良いのか

中学受験に向けて出会ったと思うが塾や通信教育を大量にやっていた。細かいものを上げれば覚えていないものもあるだろうが、生協かなにかの通信教育・くもん式・四谷大塚の通信教育、途中から桐郷学園という塾、SAPIX、更に家庭教師がついていた。

いきなりではなく徐々に増えていったので最初はそんなことはなかったが宿題もちりつもで大量に増えていった。そのうちに消化できなくなり当初は残念に感じていたがいつしかその状況に慣れて消化不良をなんとも感じなくなってしまったのだ。

一応宿題ができないと反省するようなポーズはできる程度に社会性は身についていたが締め切りを守らないことが習慣づいてしまい、「自分はできなくて当たり前なんだ」という不誠実なマインドが身についてしまった。

今私は資格の勉強をしばしばしているが理解するに当たって重要なのは理解する努力をストレスに感じないようにすることだ。

理解しない状態でどんどん話が進んでいくと更に理解が難しくなり自分は頭が悪いのだという疑念に苛まれる。そんな状況で大量に宿題などが出された日には今の自分でも締め切りを守る努力などできないだろう。

大事なのはどこまで理解できていて理解できていないのか把握することだ。そこまで戻って理解できれば初めて次に進める。理解できたという感覚は楽しいものだ。世界も変わって見えて自分の中で考える道具が一つ増えたことを知る。

しかし、どこが理解できていないのかを把握することも実は難しい。なぜなら全体を理解できていないからだ。

ならばどうするか、最初に戻ればいい。

最初から問題演習・教科書読みを始めればさすがに理解できていることから始まる。ストレスもないしもやもやして引っかかっていた部分が改めて基本に立ち返るとスッキリすることもある。なにより今までの復習ができるのでそれまでの理解がより強固なものになる。

そうすればわからなかったところがわかるようになる確率はさらに上がる。

自分はそのようにしていま簿記を勉強している。人生の長い時間をかけてようやく勉強のやり方を覚えたのだ。

後進の方々にはそんな無駄な時間を費やしてほしくない。

今の世の中たちが悪いのはマークシートで嗅覚が鋭ければそれなりの点数が取れてしまうことだ。姑息な自分の人生の前半はマークシートに特化し選択肢の言い回しや確率にかけて試験をくぐり抜けてきた。しかしそれが通用するのは大学までで実社会で役に立ったことはほぼない。

日本語に敏感になったのは悪いことではなかったがもっと効率的に世の中の情報を吸収し理解して今に行かせたはずだ。

本題に戻って塾はどこに言ったら良いのか。どこでも良いが楽しいところ。かつ自分の復習に付き合ってくれるところだろう。

日能研に行けば、SAPIXにいけば、有名進学校に入学できる、訳では無い。受験するのは子ども本人だ。本人に実力がなければ行けるわけがない。実力はどのように身につけるのか。物事の多くを知りその本質を理解するしかない。そのスピードはもはやセンスだ。向かなければ潔く撤退するべきだ。まかり間違って入学できてもセンスの違う人間集団と一緒に行動するのは苦痛だ。

塾で人生が決まるわけではない。人生を歩んでいくのは子ども本人だ。何を注視すべきなのか。塾か、子供か。気をつけておきたい。

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