私は中学受験をしたので受験をしていない側からの意見は事実としてできないが、有限な人生の時間の一部を割く行為であることもまた事実である。
受験をすること自体は決して悪いことだとは思わないがいまだ人格が完成しない状態で行う特に中学受験においてはその結果どのようなメリット・デメリットが潜んでいるのか保護者たる親が認識している必要がある。
受験をしてよかったことはやはり(人生ではなく大学受験に向けた)勉強が進むことである。基礎学力が向上するためスタートダッシュがきれることで有利な条件でゲームを進めることができる。ただこれは他のスポーツや音楽の習い事でも程度の差こそあれ授業で行われる科目に対応するものがあれば言えるものではある。
受験結局はお勉強ゲームであるから本人の努力が必要であり忍耐力がつくという意味では他のスポーツなどの習い事の一種と捉えることもまたメリットとは思う。
ここまででメリットは他の習い事に比較して大差ないと思われた。
デメリットは他人に対して優越感を覚えてしまうことだ。他のスポーツでも多かれ少なかれ人より得意なことがあるとわかると優越感が出てくるのは自然だが、受験の場合は受験する、お勉強を習い事として行っている事自体に優越感を覚えてしまいがちであるから注意が必要だ。
習い事として勉強している事自体は学習塾と金銭契約をしているだけのことに過ぎず偉くもなんともない。そこに「子供の将来を考えてやっているんだー」という親のエゴも混ざり状況が子どもから親まで人間に対する認識が歪んでしまいがちであるから一層注意が必要だと思っている。
自分の場合も開成・麻布などの学校の名前を知っている事自体をステータスに感じていたし、クラスで周りの子達がわからないことを自分がわかっていることにも優越感を覚えていた。
その程度であれば正直可愛いものだがその後地頭の悪さが露呈してきた場合が問題だ。自分も焦る上、親も焦るため状況の悪化は通常の習い事よりもたちが悪い。
「お前は公立でいいのか。」「お前のせいで兄弟は同じ塾に通わせられない。」「〇〇くんの家はまだ電気がついている。人が勉強している間にお前はなていてもよいのか。」覚えているだけでも数々の非論理的な罵声を浴びせられた。しかし程度の差こそあれこういった状況に陥るリスクは他の習い事に比べて高く、子どもの向き不向きを冷静に判断し目標変更や撤退まで冷静に検討できる人格力が親には試されていると思う。
そもそも受験の目標は「希望の学校に入学すること」に陥ってしまうことが問題ではないかと思っている。親も「いい学校に入学させる」ことが最終目標ではあるまい。自覚しているかしていないかは人それぞれだが根本的には「いい人生を送ってもらいたい」そのために「いい学校に入学するとよいのではないか?」ということだと考えている。
いい人生は人それぞれ千差万別であり、いい学校へ行くことが直接つながるかどうかはその子どもの個性や思想によって異なる。大学教授や政治家、大企業の役員になりたければいい学校に行ければいけるほどなれる確率は上がるだろう。プロスポーツ選手や歌手、武道家になるのにはむしろ妨げににある可能性すらある。
いい人生を遅らせてあげるにはその子が何を望んで何をしたいのか。さらにはその適性を見極めて効率の良さそうな選択肢を提示してあげることくらいしか本質的に親にはできないのではないだろうか。
受験に挑戦することは決して悪いことではない。しかし、無理にしかも無目的に志望校にこだわることはやめて必要や子どもの希望合わせて変更・撤退も視野に大きく舵取りしてあげることが本当の教育ママ・教育パパではないだろうか。


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